クライド・ドレクスラー

2011年10月13日

クライド・ドレクスラー

バスケ経験者の私でも目から鱗だった“バスケ上達法”はこちらぴかぴか(新しい)

クライド・オースティン・ドレクスラー(Clyde Austin Drexler)

NBA屈指のダンカーであり、ニックネームは「クライド・ザ・グライド」
グライダーの滑空にもたとえられたスラムダンクはドレクスラーのトレードマークexclamation×2
背番号22はヒューストン大、ブレイザーズ、ロケッツのすべてで永久欠番となっている
ポジションは主にシューティングガードるんるん

ポートランド・トレイルブレイザーズから1983年全体14番目に指名されNBAに入団
(当時はビッグマンの方が上位指名されやすかった。)。

1986-87シーズンに当時のスーパースター、
ラリー・バード、マジック・ジョンソンの2人しか達成していなかった
平均21得点、6リバウンド以上、6アシスト以上を達成、
2人のスーパースターと肩を並べる成績を残しますぴかぴか(新しい)

1991-92シーズンプレイオフ
レイカーズとの1回戦オーバータイムでのNBA記録13得点を記録。
ゲーム全体では42得点を記録しますグッド(上向き矢印)

1994-95年シーズン、41試合ブレイザーズでプレイした後、
12シーズン過ごしたブレーザーズのほぼ全てのチーム記録を残して、
ヒューストン・ロケッツに電撃的に移籍をします。
シーズン中盤からの合流にもかかわらず、
オラジュワンに次ぐ20.5平均得点を記録しチームもプレイオフに進出。
ブレイザーズではかなわなかった念願のNBAチャンピオンリングを手にすることになりますexclamation×2


スラムダンクコンテスト1984年、1985年、1987年、1988年、1989年の5回の出場はNBA最多。
滞空時間が長く、美しいフォームのダンクで、NBA史上最も華麗なダンカーの一人である。

ドレクスラーは引退間際に有力チームに移籍し、チャンピオンリングを手にしました。
そのことから同じようなケースの移籍に対し“ドレクスラー・シンドローム”という言葉が生まれています。

また、
バルセロナオリンピックで金メダルを獲得
ドリームチームと呼ばれた米国男子代表に選ばれます
背番号は10番ぴかぴか(新しい)

1998年引退。
引退後は彼の母校ヒューストン大学でヘッドコーチに就任しています。

現役通算で20000ポイント、6000リバウンド、6000アシストを達成。
これは他にオスカー・ロバートソン、ジョン・ハブリチェックしか達成していない大記録である。


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posted by バスケットボールひろ at 17:39| Comment(0) | NBA選手 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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