スコッティ・ピッペン

2011年10月10日

スコッティ・ピッペン

バスケ経験者の私でも目から鱗だった“バスケ上達法”はこちらぴかぴか(新しい)

スコッティ・ピッペン(Scottie Pippen)
1990年代に6度優勝したシカゴ・ブルズの中心選手
背番号33(永久欠番
1987年のドラフト5位exclamation×2

攻守にわたりバランスの取れたオールラウンダーであり、
史上最高のスモールフォワードの一人と考えられていますぴかぴか(新しい)

ピッペンの境遇は、12人兄弟の末っ子で高校進学の頃に父が脳出血で倒れ全身麻痺し
兄弟も2人が病気で亡くなるなど、生活は困窮を極めていましたたらーっ(汗)

当時のピッペンは体格も小さくてやせ細った少年で、レギュラーにはしてもらえず、
マネージャーやタオルボーイをやっていた時期が長かったそうです

初めてレギュラーになったのは高校4年生のときだったが、
当時は身長は175cm、体重は70kgくらいしかなく、
ガリガリに痩せており、高校のコーチが

「何であんなに痩せた少年をレギュラーにするんだ」

と質問されるほどexclamation×2


スポーツ選手としてはNCAA所属の大学からはどこも勧誘を受けなかった。
それでも、ピッペンの境遇を知る恩師らの努力によりNAIA(全国大学体育協会)所属の
アーカンソー中央大学に進学することができた。
当初はチームのマネージャーとして入学したが、奨学金を受ける選手に欠員が出たためピッペンが
奨学金を得ることになりました。

奨学金を得てやっとまともな食事もとれるようになり、
大学2年生になる頃には高校時代よりも身長も15センチほど伸び、体重は30kgも増えて
200cm、100kg近い体格となり、秘められていた才能が開花しますグッド(上向き矢印)

大学を卒業できたら体育教師になって実家に仕送りしようと考えていたピッペンでしたが
1987年のNBAドラフトでシカゴ・ブルズに全体5位で指名されました。
決して恵まれた環境ではなかったピッペンがNBAの大スターになるとは
この時だれが想像したことでしょうexclamation×2

NBAルーキイヤーは、主に控えでしたが、

ジョーダンはピッペンと出会って、
「やっと自分と同じくらい才能のある選手が入ってきた」
と感じたといいますぴかぴか(新しい)

また、後に仇敵となるデトロイト・ピストンズのデニス・ロッドマンも当時からすでに
「あいつはいずれ史上最高のフォワードの一人になるだろう」
とその才能を見抜いていましたグッド(上向き矢印)

ピッペンのプレイスタイルは、代表的なポイントフォワードです。
得点能力、アシスト、リバウンド、スティール、1対1のディフェンス、チームディフェンスも
トップクラスという万能型exclamation×2
さらに、一流のガードにも匹敵する程のボールハンドリング、パスセンス等を持ち合わせており、
オールラウンドさとチームプレーはジョーダン以上とも評されるほどでした。

「ピッペンがいれば自分はもっとうまくプレイできる」
と語るチームメートもいたように、味方の能力をさらに引き出せるチームプレイヤーだった。
「後期スリーピートはピッペンがいなければ絶対に達成されなかった。」
とジョーダンも最大級の評価をしている。


バルセロナオリンピックで金メダルを獲得
ドリームチームと呼ばれた米国男子代表に選ばれます
背番号は8番


2004年10月5日に引退を表明

その後、2008年1月にピッペンは3年ぶりに現役に復帰し、
フィンランドのTorpan Pojatで2試合、
スウェーデンのSundsvall Dragonsで1試合に出場しています。


バスケ経験者の私でも目から鱗だった“バスケ上達法”はこちらぴかぴか(新しい)





posted by バスケットボールひろ at 19:33| Comment(0) | NBA選手 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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